こんにちは。
大垣駅北口徒歩10分、バロー西隣すぐ、
『腰のプロフェッショナル』
無痛整体源喜堂です。
『今!行動しないと人生はアッという間』
という内容で書きます。
私は多分これから20年も生きれません。(予測ですが…)
祖父は52歳で父は69歳で逝っています。
私の家系は心臓が弱いです。(心臓疾患)
私が子供の頃、友達とかくれんぼをして遊んでいました。
私が逃げて隠れている場所に鬼役の子が近ずくと心臓がドキドキしました。
心臓がドキドキするなんて誰でもあると思いますよね。
でも私のはちょっと違います。
誰かの手が身体の中に入ってきて、心臓を鷲掴みして引っ張り出すような事が起きるのです。
私は心臓を両手で抑えて10秒ほど息を止めて我慢します。
するとスーと胸が楽になって治ってしまいます。(狭心症?)
こういうことは小学校の時は度々ありました。
中学校になって1回ありました。
高校生の時はもう無くなっていました。
それから暫くそういう事は起きませんでした。
30代前半の頃、田舎の運動会に連れ出されました。
その時私の体重は人世最重量の98.5キロありました。
小学校の校庭での運動会ですから直線も短く追い抜きをかけるのは難しいですが、リレーの時私と一緒に走った男性は足が速いと評判の人でした。
ところがその男性が私を抜けないのです。
私が大きな体格をしていても適度に足が速いのとゲゲゲの鬼太郎のヌリカベの様な身体は、大きな進路妨害になり抜けなかったのです。
リレーの責任を無事に果たして、私はビニールシートの休憩場に寝転びました。
すると心臓がとんでもない大きな音で叩かれて痛みます。(呼吸が精一杯で会話ができません)
『もう死んでしまうのではないか?』と思い苦しさを耐えている間に眠ってしまいました。
普通ならこのまま死んでしまうのでしょうが、私はどういう訳か生かされました。
目を開けたときには胸の苦しさも治まっていました。
そのとき子供は3人いましたが、まだ保育園児と未満児でした。
『まだこのまま死ぬわけにはいかない』と思ったのを記憶しています。
それから自己管理を徹底して現在は20歳の時と同じ体型です。(成人式のスーツが着れます)
こんなこともあり、家系の遺伝もあり、私は寿命を考えるようになりました。
最初は『子供が自立して生きれるようになるまで頑張ろう』と思いました。
現在は『子供が全て結婚するまで頑張ろう』を目標に頑張っています。
これからは『残された人生を充実して生きよう』と思っています。
やはり『物より思い出』だと思います。
感謝や感動や達成感を味わえることを沢山の思い出にして逝きたいと思います。
『人生にリミットを決めると生き方が変わる』と思います。
『限りがある人生だから目標や目的を決めて頑張れる』のです。
私はダラダラと長命なのは絶対に嫌です。(本当に嫌なんです)
なのでピンコロで逝きたいのですが、最期まで動ける身体でいなければなりません。
その日まで心にいっぱいの良い思い出を抱いていたいです。
地位や名誉や財産は全てこの世に置いていきますが、『人生の充実感』という思い出はしっかり持っていけます。
『今!行動しないと人生はアッという間』ですよ。
犯罪行為は絶対にダメですが、自己充実することは非常に大切です。
やりたいことはやり切ってしまうことです。
私はそうしたいし、そうするように努力しています。
1年後、2年後、3年後、5年後、10年後、15年後…ともう目標通りやっています。
そして全て達成できたら満足して死んで逝けると思います。
50代以上の人は絶対に残りの人生の計画をすることです。
そして必ず実行することです。(行動を起こすこと)
人生には限りがありますからね…
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