こんにちは。
大垣駅北口徒歩10分、バロー西隣すぐ、
『腰のプロフェッショナル』
無痛整体源喜堂です。
『人は善悪の友による』
という内容で書きます。
人は善悪の友による
己に勝る善き友と
学び求めし持ち共に
心の的にムチ打ちて
学びの道に進めかし
これは私の中学生時代の剣道の恩師の言葉です。
久しぶりに思い出しました。
私は良(善)い人を選んで付き合っていますが、もうこの時から指導を受けていたのです。
私これを実践していますし、残りの人生もそう生きていきたいです。
私は剣道、柔道、銃剣道、空手、日本拳法、少林寺拳法などをかじってきました。
言っておきますが、かじってきただけです。
その中で感じてきたことは、武道をしているからと言って、人間的に優れているとは限らないということです。(人格のことです)
少し前に居合道の段級審査の合格が、お金で買えるものだったという記事がありました。
6段、7段、8段という先生の段位がお金で買えてしまうのです。
バカバカしくて、私は全く武道の段位は信じなくなりました。
こんなことは、他の武道でも同じです。
『名誉何とか』とかと言って、とても段位をもらえるような者でなくても、3段、4段、5段までは有り得ます。
その昔、凄い有名な作家が剣道をしていましたが、その人も『名誉何とか』という段位で『おまけ』がついての段位であったようです。(嘘の肩書に何が意味があるのか?…)
私の剣道の先生は、軍隊で剣道を覚えて、70代で剣道7段教師になっていました。
7段段級審査を何回も受験失敗して、確か6回か7回の受験でなられました。(7段受験は普通にこれだけ落ちます)
字も達筆な先生で、生活面も叱咤激励をして頂きました。
中学生の私が幾ら打ち込んでも、体さばきや竹刀さばきでかわせてしまいます。
ゆっくりとした動きなのに、パンパンと面や小手が入れられてしまうのです。
私の動きを読んでいるようで、とてもかないませんでした。(私15歳、先生71歳です)
こういう先生が本当の剣道の先生です。
自分の地位や名誉に恥じない生き方がある方が、先生と呼ばれるべきです。
大人になるにつれ、様々な友人と知り合ってきました。
自分を伸ばしてくれる存在の友は、やはり善い友でした。
私の存在も、友の力を伸ばしていたかもしれません。
生きている限り、何歳になっても友ができます。
親子ほど年が離れても、友は有り得ます。
自分が『尊敬できる友を大切にして生きて行きたい』と改めて思いました。
一生涯修行をしているのですから、善き友を選ばないといけません。
それが『自分の生き様になる』からです。
『人は善悪の友による』
という内容でした。
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