『究極の喜びとは?』

こんにちは。

 

大垣駅北口徒歩10分、バロー西隣すぐ、

『腰のプロフェッショナル』

無痛整体源喜堂です。

 

『究極の喜びとは?』

について書きたいと思います。

 

皆さんにとって『究極の喜びとは』何ですか?

 

私は・・・

他人の喜ぶ姿をみたとき』

『ありがとうございますの言葉を頂けたとき』

です。

 

人の欲望は限りがありません。

物欲は次に次にと、限界が無く拡大していきます。

物欲には『究極の喜び』はありません。

 

人間は物欲では幸せになれないのです。

物を追い続けて手にしても、次の物が欲しくなります。

 

私はいつも思います。

『皆さんは満たされ過ぎなんです!!!』

 

住む家があり、好きな服を着て、安全で美味しい食事ができる』

これだけで、十分な幸せなのです。

昔のお殿様より、優雅な豪華な生活をしています。

 

戦地で暮らす人達は、全てが不自由な生活です。

食べる物もありません。

しかも、明日の命のさえわからないのです。

 

平成時代に日本は戦争はしませんでしたが、天災で多くの尊い命を失いました。

そして、今でも復興に向けて頑張っている人達もいらっしゃいます。

 

『当たり前にある日常が、なんて幸せなことなのか』

失ってしまった人達は実感していらっしゃいます。

 

私の生活は、特別なものではありません。

ごく普通の生活をしています。

むしろ一般家庭以下の生活です。

でもそれがとっても幸せに感じます。

 

朝、目が開いて身体が普通に動く。

晴れた日は、空気が澄んで気持ちがいい。

納豆ご飯、みそ汁、卵焼き等々、変わらい朝食。

 

整体院に朝の挨拶をして、毎日同じ準備を始めます。

準備が終わったら、少しパソコンに向かう。

 

患者さんが来院されたら、治療をする。

『良くなりました!ありがとう!』

この言葉がなんと嬉しいことだろう。

 

生きている!』という実感がする言葉なんです。

 

『子供が希望の大学に合格しました』

『畑いったら、桜がきれいです』

『結婚します!子供が生まれます!』

『退院したので、少し旅行に行きたいです』

上記のような、皆さんの日常の幸福がとても嬉しいのです。

 

自分が同じ立場で、まるでその場所に居るかのように想像をします。

疑似体験のようなものですが、それがとても嬉しく感じます。

 

こういう気持ちは、きっと皆さんの心の中にあります。

私は『感動の沸点が低い』ので、すぐ感動します。

多分、ごく普通の日常の中で、皆さんの何倍も感動をしています。

 

究極の喜び』とは自分の物欲でなく、自分の周りにある出来事が多いです。

自分のことも他人のことも、同じように喜び感動できることです。

そのような人は、普通の人の何倍も喜びを感じて生きていますよ。

 

最後の患者さんを治療して片づけをして、治療院にお礼を言って帰ります。

帰宅して、軽い食事をして、家族と会話をして、入浴をして、すぐに寝ます。

 

何気ない日常です。

何気ない日常が、本当の幸せなんですよ!

『究極の幸せ』なんですよ!

病気をしない人は、日常生活に幸せを感じて生きている人ですよ!

 

究極の喜びとは?』

という内容でした。

 

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