『無痛整体源喜堂・同じ釜の飯を食べた者は良いものです』

こんにちは。

 

大垣駅北口徒歩10分、バロー西隣すぐ、

『腰のプロフェッショナル』

無痛整体源喜堂です。

 

『同じ釜の飯を食べた者は良いものです』

という内容で書きます。

 

私はかつて陸上自衛隊にいました。

もう40年近く前の話になります。

 

陸上自衛隊に入隊すると新隊員教育隊というのに入ります。

私たちの頃は前期3カ月の教育を受けて、その後各職種に分かれて後期3カ月の教育を受けて、各部隊に配属されました。

私は一般的に昔で言う歩兵になる部隊で普通科連隊で前期後期6カ月教育を受けました。

 

先日、その前期3カ月間と後期3カ月間のどちらかで交流をした同期が1年ぶりくらいに同期会をしました。

私は先回は急用で辞退したので、2年ぶりくらいに同期と再会しました。

 

先回はまだ現職の者が大半いまいたが、今回はほとんどが定年退官をしていて、一番出世した者が1人現職でいて、ヘリコプター部隊の隊長をしている者でした。

一番出世した者は叩き上げで大した者だと思いました。

自衛隊は退官(退職)が早いので、その後に役所の防災課や民間企業などに再就職していきます。

 

退官するときの階級や誕生日で退職日が違ってくるので、就職して1~2年目の者や数か月の者やこれからという者など様々です。

同期は皆が笑顔で楽しそうな顔をしていました。

官から民ですから大変でしょうが慣れるのは早いと思いました。

 

その中の1人が言っていました。

その者は4年間自衛隊に在隊して夜間大学を卒業して役所に入ったのですが、『自衛隊の同期はわずか数か月しか同じ釜の飯を食べていないけれど、あのときの同期のような人間と社会に出てから会ったことが無い・・・』と。

もその言葉に同感していました。

 

高校を卒業して自衛隊の教育隊は全く異種なところです。

昭和時代の自衛隊は『給料がもらえる刑務所』に近い感じでした。

自衛隊の駐屯地の周りはコンクリートの壁やフェンスがあり有刺鉄線で囲まれていて、自由に外出はできませんし、全て時間で管理されていて、上限関係は厳しく訓練もきつく皆がヘトヘトでした。

 

でも、どういう訳か皆が楽しそうに昔話をするのです。

自衛隊を定年退官までいた者は、阪神淡路大震災や東日本大震災やその他の災害派遣やPKO 派遣で海外にも行っています。(訓練中に亡くなってしまった同期もいます)

それはそれは大変な思いをしてきているのに、不思議なことです。

多分、苦しさや悲しさを懐かしんでも仕方がないから、前向きに今を生きて楽しんで充実させているのだと思いました。

 

人は『安住なところにいては人生を楽しめない』のです。

特に若い頃に厳しい苦しい経験をしていると、その後の人生を『こんなことは、あの時に比較すれば何てことはない!』と思えます。

若い頃の経験や体験は人生を強く生きれる礎となります。

 

成功者というのは一般的な人よりも何倍も何十倍も何百倍も苦労や努力をしています。

ただ、目の前の壁を『どうせやるなら楽しんでやろう!』と思って努力し続けるのです。

だから成功者になれるのです。

 

私も同期に会うとエネルギーをもらいます。

そして『僕も頑張ろう!!!』と燃えてきます。

また、笑顔で会えるように『今日を今を精一杯生きたい』と思います。

 

『同じ釜の飯を食べた者は良いものです』

という内容でした。

 

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