『修行とは何でしょうか?』

こんにちは。

 

大垣駅北口徒歩10分、バロー西隣すぐ、

『腰のプロフェッショナル』

無痛整体源喜堂です。

 

修行とはいったい何でしょうか?』

 

『命懸けで』という政治家が命を懸けることは無い。

『男だから』という男が少しも男らしく無い。

『誠心誠意』という人が誠意のカケラも無い。

修行』という人が一番修行が出来ていない。

皆さんはそう思いませんか?

 

貴乃花の一連の行動、騒動でその様に感じてしまいました。

貴乃花はずっと『修行』なのです。

本能的に、自ら『試練の道』に進んで行ってしまうのです。

 

皆、できて無いことを口にするのです。

その気が無いのか、ずっと未熟なのか・・・

既にできる人は、わざわざ口にしなくてもできるので、口にしません。

 

お相撲さんの世界(暴力)は、全く変わりませんね?

変わらないですよ!

相撲界では稽古と暴力は一緒ですから・・・

境界線がありません・・・区別ができないので無くなりません。

 

土俵の中の稽古で鍛えることを『可愛がり』と言います。

あえて厳しい稽古をつけることが『可愛がり』なのです。

失神するまで稽古をして、水をかけて起こす。

竹刀でバンバン身体を叩き、闘志を燃やさせる。

稽古か?暴力か?の境界線が解りません。

 

こんなことは、相撲に限らず、スポーツ界では平然と行われてきたのです。

身体に暴力を振るい、言葉の暴力を使い、耐え忍んで頑張ることを『修行』と言っていたのです。

レスリング、ボクシング、野球、サッカー、剣道、柔道、バレーボール、水泳、陸上、etc.・・・

全てが、暴力か?修行か?鍛錬か?解りません。

『言葉の使い方』で何とでも言い換えられます。

 

『修行僧』がおられます。

何日も食事を摂らず、座禅を組んだり、山の中を懸けずり周り、街を歩き托鉢(たくはつ)をします。

修行を強いられる場合もあるし、自ら強いる場合もあります。

何に意味があるのかは、『修行僧』だから解り得ることです。

一つ間違えば命の危険性もありますが、世間一般では知る由もありません。

 

相撲やその他のスポーツは公(おおやけ)になるものです。

マスメディアが多くの情報を、一般人に提供してくれます。

だから、何でも解ってしまいます。

修行僧』の世界は解りませんよね?

 

一般社会であっても労働条件次第で、人が亡くなったりします。

裁判でも起こさない限りは、大問題になりません。

一般社会であっても、過酷な労働条件下で、仕事をしている人がいるのです。

一般人には相撲界の様に、いつもマスコミが張り付いていないから、事件が解らないのです。

ネタになる事件内容でなければ、マスコミも動きません。

 

上の者が下の者に『修行』と言って理不尽なことをやらせるのは『常です』。

そこから這い上がった者が、『覇者』や『勝ち組』や『成功者』となれるのです。

だから『いじめ』や『修行という名の暴力』に屈服したものは、負け組になるのです。

『日の当たる場所』に出れる者は『修行に耐えた者』だけです。

 

この『事実をしっかりと子供に教えた方が良い』です。

綺麗事だけ子供に教えても、理不尽なことは大人の世界では常ですから。

 

簡単に言えば、どんな世界でも理不尽や多少の暴力はあるのです。

暴力は身体的暴力もあれば、精神的暴力もあります。

それに耐えられた者は『日の目を見る』が、耐えなれなかった者は『消えていく』のです。

自分にその生き方や職種が合っていないと感じたならば、自分で新たな道を進めば良いのです

 

誰しも『自分に合った道』はあります。

その道を『探し出せるか!』、『諦めてしまうか?』の問題です。

 

『生きる』ということ自体(事態)が『修行』なのです。

何があっても、『自分の人生を生き切る』ことが、『修行』なのです。

 

私は勝手にそう思いますが、皆さんはいかがでしょうか?

 

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